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風立ちぬ 「誰が風を」の詩の意味と全文は?原文との違いや和訳を考察

2019/04/20
 
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映画・風立ちぬの中で、主人公・二郎が詩を読むシーンがありますね。

誰が風を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない
けれど木の葉を 顫わせて
風は通りぬけてゆく

風よ翼を 震わせて
あなたの元へ 届きませ
出典 風立ちぬ

映画で詠まれた詩の全文はこちらですが、結局詠まれっぱなしでどういう意味が込められていたのか、また、作品との関わりも分かりませんでした。

どうやらこの詩には原文もあるようですのでそちらとの違いも交えて、詩と作品の関わりを考察していきたいと思います。

映画風立ちぬの「誰が風を」の詩の原文と和訳

風立ちぬで詠まれたこの詩の原文は、クリスティーナ・ロセッティというイギリスの詩人による英語の詩です。

Wind

Who has seen the wind?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro’.

Who has seen the wind?
Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.
出典 Wind クリスティーナ・ロセッティ

そしてこの詩の日本語訳として有名なのが、日本人の西條八十さんによる朗読です。

誰(だれ)が風を 見たでしょう
僕(ぼく)もあなたも 見やしない
けれど木(こ)の葉を 顫(ふる)わせて
風は通りぬけてゆく

誰が風を 見たでしょう
あなたも僕も 見やしない
けれど樹立(こだち)が 頭をさげて
風は通りすぎてゆく
出典 クリスティーナ・ロセッティ 訳西條八十

ちなみにGoogle翻訳だとこうなりました。

誰も風を見たことがありますか?
私もあなたもそうではありません。
しかし葉が震えてぶら下がっているとき
風は通り過ぎています。

誰も風を見たことがありますか?
あなたも私もそうではありません。
しかし木が頭を下げて曲がるとき
風は通り過ぎています。
出典 クリスティーナ・ロセッティ 訳Google翻訳

Google翻訳は直訳すぎてまったく風情がないですね(笑)

それに比べると西條八十さんの訳はとてもいいです。
チョイスする単語や言い回しもニュアンスを熟慮して作られている感じがします。

「見やしない」なども普通に考えたら使わない日本語ですが、この詩の雰囲気に合わせて使っているんだろうな。という印象です。

また、「But when the leaves hang trembling」なんかは直訳すると「しかし葉が震えている時」ですが、西條さんは「けれど(風が)木の葉を震わせて」という言い回しにすることで風が通りぬける様をより強調して表現されています。

風立ちぬの作中での詩と原文の違い

風立ちぬでは、西條さんの訳詩の冒頭4行のみを呼んだあとにオリジナルの詩を2行付け加えて読んでいます。

これは宮崎駿監督が取り入れたアイデアのようですね。

最後の2行は主人公・二郎の創作で付け加えたという設定らしいです。

映画風立ちぬの詩の全文に込められた意味の考察

この詩の解釈について、個人的な見解に基づいて考察していきます。

まず最初の2行

誰が風を 見たでしょう
僕もあなたも 見やしない

誰か風を見たことのある人がいるだろうか?(いやいないだろう。)
僕にもあなたにも見えやしない。

こんな感じの意味です。
(英語にも反語表現ってあるんですね。)

これは誰も風というものは眼で見たことはないし、もちろん僕にもあなたにも見えない。

つまり風というのは、一見この世に存在していないモノのように思えると言っています。

しかし次の2行

けれど木の葉を 顫わせて
風は通りぬけてゆく

風は一見存在しないように思えるが、実際に木の葉をふるわせている通り抜けている。

眼には見えないけれども確かに風はそこにあるのだ。
と言っています。

 

そして二郎の創作の2行

風よ翼を 震わせて
あなたの元へ 届きませ

風よ翼を震わせての部分は、飛行機の翼 ⇒ 主人公・二郎の「夢」を暗に示しています。

そしてあなたとは

物語の中で解釈すれば「菜穂子」

物語の外で解釈すれば「画面の前のあなた」

とも解釈できるのではないでしょうか。

(ちなみに「届きませ」とは「届いてくださいませ。どうか届いてください。」という意味です。)

詩の作品との関わり

この詩は唐突に二郎によって詠まれ、そして詠まれっぱなしで終わってしまいましたが、作品的にどういった意味を持つのでしょうか。

「風立ちぬ」という作品において、クリスティーナ・ロセッティの「風」というタイトルの詩が使われている所から見ても、”風”に対する解釈がこの詩を読み解く重要な手がかりであることは間違いないでしょう。

そしてこの作品において核心的なテーマを代弁する役割を負っているのは、夢の中に出てくるカプローニ伯爵です。

伯爵の言葉の中で、この作品中における「風」に対する解釈を完璧に表している一言が以下のセリフだと思います。

この作品における「風」とは生きるに値する”希望”です。

風が吹いているとは、胸にまだ希望が残っているということです。

(人生におけるやるべきこと、使命みたいなニュアンスの解釈でも良いと思います)

これを詩に込められた意味に置き換えると、

”希望”とは風のように目には見えないが、確かに実在する。

”希望”よ、どうか僕の夢にのって、あなたの元へ届いて欲しい。

このようなメッセージとして解釈できるのではないのでしょうか。

この

「僕の夢(飛行機)に乗って、あなたの元へ届いて欲しい」

という解釈は、軽井沢にて二郎が自作の紙飛行機を菜穂子へ投げて届けようとするシーンでも暗に示されていますね。

まとめ

まとめると、

  • 詩の原文はクリスティーナ・ロセッティの英詩「Wind」
  • 作中での詩は、原文の西條八十の日本語訳から冒頭4行のみを採用し、最後2行は二郎の創作として描かれている
  • 作品内では風を生きる希望と夢にかけて、表現していた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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